フレーミング

今日は雨が降っていますね。今年は例年に比べて雨が少ないそうですが、どうしても外に出かけるのが億劫になってしまいます。でも、今日は家にこもることなく、いろいろ情報収集したいこともあって、図書館にやってきました。

さて、最初の書き込みでとても固いタイトルなのはどうかとも思いましたが、フレーミングという概念が人生においてとても大事だと思うので、最初に触れておくことにしました。

人生には、さまざまな喜怒哀楽があります。それは当たり前ですね。例えば、努力して大学に合格すると、うれしいでしょうし、駐車場で車に当て逃げされてしまったら、それはそれは腹が立ちます。こういう日々の喜怒哀楽ってなぜだろう?って思うこと、ありませんか?そんなのあたりまえと片付けるのは簡単ですが、実はその根幹をなしている前提があることを人はよく忘れてしまいます。要するに大学に合格するという価値観だったり、自分の財産に対する見方という前提があって、それに対する影響が喜怒哀楽になっています。この前提そのものを形成するところは、あまり意識がいかずに、影響そのものに意識が向けられがちなのが人間というものです。

ところが、わたしは、日本人は特に前提を考えるというところに意識を向けない人種なのかなと思うことがよくあります。わたしは、米国の大学で学んでいましたが、そこでは「フレーミング」ということを非常に大事にします。というか、「フレーミング」をせずに、ものごとを考えるのはありえない、ということです。当時、私はこの概念がなんのことかよく理解できませんでした。しかしいろいろと米国人と話しをしているうちに、わかってきたのですが、彼らの歴史自体が物語っているように、定住する文化もなく、開拓をしてきた人たちなので、新しい土地にいけば、生きるうえでの前提がかわってしまうことがあたりまえのように起こるのです。そして、人生で何度もそういう経験をしてきたということでしょう。そこで前提を無視して、生きていこうものならさまざまな不都合が生じるわけであって、ものごとを考える際には、まずフレーミング、すなわち、前提をどうとらえ、認識するか、ということが重視されているんだと思います。

さて、日本ではどうでしょうか?日本は今でこそ定住は少なくなりましたが、基本的には、あまりいろいろな場所で生活するものでもなく、職業もそうですが、さまざまな職業に移り変わるような文化もありません。終身雇用制もほかの国に比べれば残っているでしょう。そういう中で、フレーミングからはじめない傾向にあると思っています。

グローバルに目を向けてみると、前提が覆るような技術の進化や政治体制の変化などさまざまなことが起こっています。そうした中で、日本はこうした変化に対して、前提が変化していることからとらえないと、単に世界から「振り回されてしまう」だけになってしまうことが考えられます。まず、いま、あなたが直面している課題の前提はなんなのか、フレーミングからはじめてみる、これが振り回されないために大事なんだと思いますし、そうやって考えた問題解決の方法は、より本質的に意味のあるものになるのではないかとおもいます。